「合気道はインチキ」について思うこと

「合気道はインチキ」について思うこと

いつも心に一年生の思い出(?)を。どうもサイコ田中です。

護身術を学んでいると人に話すと、「合気道みたいなやつ?」と言われていつも答えに困ります。

なぜ人は護身と聞いて合気道を連想するのでしょうか。

私の経験上、合気道は残念ながら護身という用途にはほとんど使えません。

それでも合気道=護身術というイメージが定着している理由は一体何なのでしょうか。

そもそも海外で合気道は手品とかそういうものと同じパフォーマンス扱いを受けています。

日本人はそんな怪しい武術をどうして今も追究し続けるのでしょうか。

今日は、私自身の経験と知識を基に、「合気道とは何か」について語りたいと思います。

この記事がこれから合気道を始めようと思っている方や、現在合気道を学んでいて疑問を感じておられる方のヒントになれば幸いです。


そもそも「合気道」って何?

合気道が何なのかよくわかっていない方も多いと思いますので、ざっくり説明すると、

・体捌きと呼吸法を軸にした技術体系

・試合や組み手はしない

・「護身」が目的(ゴール)ではない

 

私自身がそうだったのですが、よく合気道を格闘技の一つだと勘違いしている方がいらっしゃいますが、

合気道に「格闘」の要素は無い(そもそもそれ自体を否定している)ので格闘技ではありません。

あくまでも互いに切磋琢磨し、健全な心身を育むことを目的とした武道です。

合気道は相手と争うことを目的にしていません。ですから当然、身を守ることには役立ちません。

大事なことなのでもう一度。合気道は護身術として使えません。気をつけましょう。

相手を倒したり、勝ち負けを決めることを目的にしていないので試合や組み手を行いませんし、フィジカルトレーニングなどもほぼ皆無です。

合気道で重視されるのは身体の使い方と呼吸の作用であり、「力をどう使うか」というのがテーマです。


なぜインチキ扱いされるのか

これも私自身が誤解していたことなのですが、

合気道の技術はインチキでもなんでもないのです。

多くの人が勘違いしていることですが、合気道の演舞はあくまでもパフォーマンスです。

「こんな技がありますよ」「こういうときはこんな動きをしますよ」というサンプルに過ぎません。

当然ルールが決まっていますし、動き方も協会や各流派が定めた「型」にしたがっているだけです。

そういった意味では、「ダンスをしている」のとあまり違わないかもしれません。(失礼な表現かもしれませんが、これがわかりやすく適切だと思います)

そうした前提を知らないで合気道の演舞を見てしまうと、人があっちこっちに投げ飛ばされたり転がったりして、

なんだか現実離れしているように見えてしまうのですが、

彼らはあくまで一定のルールに従った動きを淡々と繰り返しているだけなので、それ自体特別なことでもありません。

それを何の知識も無い人が見て、「あんな小さい人が、大きい人を投げ飛ばしてる。すごいなあ」と思うのは勝手ですが、

あくまでも演舞で、パフォーマンスだということを理解しておく必要があります。

体重50キロ代の年老いた男性が、体重100キロ近い外国人をいとも簡単にねじ伏せられるわけがありません。

彼らは定められたルールと形式に従い、「型」を再現しているだけです。インチキなどしていません。

ただ黙々と、学び覚えた技を教科書どおりに披露しているだけなのです。

やはりそういった意味においてもダンスやアクロバットに近いものがあるかもしれません。


スポーツ科学としての合気道

合気道で教わる技術体系はその根底に、

身体をどう操るか、力をどのように使うかというテーマがあります。

これは現代のスポーツ科学に基づいたトレーニングなどにも繋がる、重要な考え方だと思います。

例えば合気道の「小手返し」は、相手の手首を返して地面に転ばせるという最も基本的な技ですが、

個人的にあの技自体に意味は無いと思っています。

ただ、手首や肘にどんな方向から、どんな力が加わると相手(自分)の体がどう動くかとか、

どんな角度やタイミングなら加える力を最小に出来るかといったところに、合気道の本質が見え隠れしているのではないかという解釈です。

「小手返し」に限った話ではありませんが、実戦場では、相手はゆっくり突きを出したり腕を掴んだりはしてきません。

それは練習や演舞に限った話であり、おおよそ現実的ではなく、実戦的とは言えません。

自分が投げられそうになっているのに、いつまでも相手の服を掴んだままということがありえるでしょうか?

普通の運動神経を持ち合わせているならば、危険を感じた時点で手を放すという対応が自然です。

一回転して綺麗に受身を取るのは、そういう「流れ」があることを前提にしているからです。

技をかけるほうも、かけられたほうも、ただ漫然とそれを繰り返すのではなく、

どうして身体がそういう風に動くのか、使う力をより小さくするにはどうすればいいのか、常に頭を使って理想的な形を追い求めていくと、

多くの人が知る「人が大げさに投げられる」という一連の動作に近づくのだと思います。

ですからあくまで私個人としましては、合気道は武道というよりも、

身体の構造や動きを知るための学問という認識で見ています。

あまりに奥が深い学問ですから、生半可な知識と経験しかない凡人の私たちにはその本質が見えにくく、インチキ臭く感じてしまうのかもしれませんね。


合気道の未知なる可能性

近年管理人は合気道を護身に応用するべく、色々な道場に足を運んでいます。

空手や柔道の経験しかない私にとって、合気道の練習は正直かなり退屈です。

当たり前の話ですが、

合気道の経験しかない人にいきなり無言でローキックを蹴ると、反応できずにきょとんとしてしまいます。

それもそのはず、彼らは身体と力の使い方を学んでいるのであって、

殴り合いを練習しているわけではないからです。

その一方で「こういう風に、上から私の腕を掴んでください」と指示されてその通りにすると、

本当に動けなかったり、投げ飛ばされたりします。

合気道の技には、いくつもクリアしなければならない条件と前提があり、あまり応用が効きません。

ですが逆に言えば、それらを本当に使いこなせるときが来たら、

どんな武道、どんな格闘技も到達できない未知の世界が見える可能性だってあるということです。

かの有名な故・塩田剛三氏のパフォーマンスが本物だったのかは、私にはわかりません。

しかし合気道を徹底的に追究していく過程で、人間離れした動きや技が本当に再現でき、

究極の武術になるかもしれないという予感のようなものを拭えないのは、私が妄想好きのサイコ野郎だからでしょうか。

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。