現代護身術の真実

現代護身術の真実

いつも心に一杯のほうじ茶を。どうもサイコ田中です。

今日はなかなか大仰なタイトルですが、「現代護身術の真実」と題して、

現代社会における護身術の存在意義や利用目的などについて語りたいと思います。

個人的な意見を垂れ流すだけの記事になると思いますので、興味が無い方は「戻る」をクリックしていただいて一向に構いません。

自分の大切な時間は、100%自分のために使いましょう。(とはいえ、誰かの役に立つことを願って書いていることには違いありません)


日本人に護身術は必要ない?

私は趣味で格闘技や護身術を学んでもう10年以上になりますが、どんなセミナー、どんな練習会に参加しても必ず指導者の方が仰る言葉の一つに、

「そもそも平和な社会に護身術など必要ない」

というものがあります。

確かに、治安に優れ犯罪率の低い社会において護身術の必要性と実用性はほぼ皆無であり、無視しても構わないとさえ思われます。

実際、朝起きて電車に乗り、仕事または勉強に明け暮れ、帰りは遅くとも9時には帰宅するという生活をただ漫然と繰り返す過程においては、

ほとんど危険な場面になど遭遇しないでしょうし、実際に事件やトラブルや巻き込まれるとしても、宝くじに当選する程度の確率でしかないでしょう。

つまり、ほぼ起こりえないのです。

私は護身術として軍隊格闘技のメソッドを多く活用していますが、

これらは元々、戦場という局地を想定した技術です。

失礼な言い方になりますが、平和ボケした日本の社会においては、引き出しの奥の印鑑のように、

ほとんど使う機会の無いものです。

これらの技術を一生懸命習得するのが馬鹿馬鹿しく無意味というのは、強ち間違いでもないでしょう。

正直に白状すると、私がクラブのセキュリティを勤めていたのは、自身が身につけた技術が本当に使えるのかを試すためであり、

そういった意味では、自らある程度危険とわかっている空間に身をさらしているのですから、

護身の本来のあり方とは趣旨が違ってしまいます。私はこの虚しさに気づいて、セキュリティの仕事を辞する決断に至りました。

この現代社会を生きる多くの日本人にとって護身術は恐らく、必要の無いものです。

緊急事態は確かにいつ訪れるかわからないものですが、確率は極めて低い上に、どうやっても回避しようが無いパターンも多々あります。

地震に備えて家具を固定したりするように、身体を鍛えて技術を学ぶのはいいことですが、そんなことに血道を上げていられるほど世の中は単純ではありません。

誰もが自分一人の人生を一生懸命全うし、責任を果たすので精一杯です。

この忙しい情報社会の現代においては、護身術などあるいは、必要ないのかもしれません。

(以前投稿した記事と矛盾する内容になりますが、何卒ご理解ください)


ほとんどの「護身術」は全く使えない

更に言えば、私の経験上、「護身術」と名のつく技術体系のほとんどは、

極限状態においてほとんど役に立ちません。

例えばよくあるデモンストレーションに、「相手が腕をつかんできたら」というのが見かけられますが、

あんなものは意味がありません。

現実における戦いでは、相手は悠長に腕なんて掴んできません。

最初から殴りに来るか、服の肩口を掴みに来ます。

もしつかまった場合、相手のほうが身体が大きければ次の瞬間には投げられるか、もう片方の腕で思い切り殴られて終わりです。

相手に腕をつかまれたときの対処法を知っていても、「えっと、こういうときはこうして」などと考えている暇はありませんし、

相手はあなたが技をかけるのを黙って待ってはくれません。この手の技術は、何百何千と馬鹿らしくなるほど繰り返し練習し、

反射的に再現できなければ全く無意味な上に、圧倒的な体格差がある場合役に立ちません。

よく、護身術のセミナーには私のような物好き(サイコ野郎)以外に真面目そうな女性も何人か参加していますが、

彼女たちが技の練習をするとき、相手をする男性のほとんどは空気を読んで力を抜きます。

つまり手加減して、わざと倒されます。

これは茶番以外の何ものでもありませんし、参加した女性にとっても意味がありません。

更に言えば「本番」で相手の男性は恐らく空気も読まないし手も抜きません。

そして練習したとおりのシチュエーションになる確率は極めて低いでしょう。

この手の技術をどれだけ学んでもあまり意味が無いことに気づく勘のいい女性は、その後セミナーに姿を見せることはありません。正しい判断だと思います。

セミナーも終盤に差し掛かった頃、外国人指導者の多くは口をそろえてこう言います。

「銃を抜きなさい。それが一番早くて確実だから」

馬鹿らしくなってしまうのですが、これが現実です。

本当に身を守りたければ、強力な武器を携行していざという時使えばいい。シンプルですが、身体を鍛えたり、苦労して技術を身に付ける必要も無い。

アメリカではスーパーやホームセンターで銃を手に入れることが出来ますから、それらを日用品と一緒に買うほうが楽に違いありません。

時間もエネルギーも知識も、そしてお金さえも、賢く効率的に使わなければ無駄になります。

護身術や逮捕術、軍隊格闘技などは、本職のセキュリティや軍人が身に付ければいいのであり、大半の一般人にはほぼ不要といえるでしょう。

私のような自意識過剰なオタクが趣味程度に覚えるのは全く問題ないかもしれませんが、

撃たれたら死ぬという現実の前には、全く虚しい形骸に過ぎないと思うのです。

インストラクターは更にこう付け加えます。

「確かに我々はプロだが、いきなり銃で撃たれたら死ぬしかないんだよ」


全ては「暴力」に帰結する

イスラエル生まれの軍隊格闘技クラヴ・マガでは、

(ある意味当然なのですが)キックやパンチなど、打撃の練習が重視されます。

多くの方が護身術というと、相手をその場に組み伏せたり、静かに制圧して動けなくする、

というものを想像されるかと思いますが、あれは全く非現実的です。

私の知る限り護身術の究極的な到達点は残念ながら、暴力です。

もっと簡潔に言うなら、「殴ったほうが早い」ということです。

攻撃者は、あなたやあなたの身近な人に明らかな敵意を持っています。

そんな相手を優しく制圧する必要はないし、気遣いは無用です。

相手を押さえつけながら「落ち着いて、話をしましょう」というシチュエーションは最高ですが、

これは私の経験上非常に稀なケースです。現実はもっと厳しく、単純です。

相手がつかみかかったり、殴りかかろうとする素振りを見せたら、私はためらいなく手を出します。

先手必勝、死角からの不意打ちが喧嘩の必勝法だと、経験で知っているからです。

怪我をさせないために気を使おうとすると、結局誰も守れないことが多いと私は思います。

私はまだ学生だった頃、ロー・コンバットのセミナーであるコーチに投げかけられた言葉を今でもはっきりと覚えています。

「余計なことを考えるのをやめなさい」

「敵はあなたを人間だと思っていない。だからあなたも、相手を人間扱いする必要はない」

当時二十歳そこそこだった私には衝撃的でしたが、これらの言葉がなければ乗り越えられなかったであろう危険な状況を経験したことも事実です。

いざという時、相手を優しく抑え込んだり、腕や肩の関節を極めて制圧するなんて、少なくとも今の私にとってはナンセンスです。

いきなり殴る。それもなるべく相手に見えづらい角度で、急所を叩く。残念ながら、これが恐らく最適解です。

本当に危険な状況で求められるのは、相手を今すぐその場で倒すことです。

この理論は、「銃を抜きなさい」という言葉に繋がるところがあるように思います。


それでも私が護身術を学ぶ理由

私は、戦って死にたいとか、不特定多数の他者を危険から遠ざけたいという気持ちは微塵も持ち合わせていないので(この辺がサイコなのでしょう)、

警察官や軍人になろうと思ったことは一度もありません。そもそも集団生活とか体育会系のノリが苦手なので、多分務まりません。

はっきりしていることは、自分が弱いという現実を知っているということです。

私は小学生の頃から空手を習っていて、中学まで喧嘩で負けたことがありませんでしたが、

高校で初めて刃物を持った相手と向き合い、何も出来ない自分に失望するという体験をしています。

これが、私が護身術に興味を持つに至ったきっかけです。

あだ名が「のび太くん」で、容姿やその他様々な部分にコンプレックスがあったのは事実ですが、

やはり一番は、漠然とした「強さ」に憧れたということになるのでしょう。

格闘技を始めたきっかけを色々な人に尋ねると、必ずと言っていいほど「強くなりたかった」という答えが返ってきます。

私も同じです。理由もわからず、当てもなく、理想や真理のようなものも持たず、とにかく強さを追い求めました。

もうすぐ三十歳という年齢になって改めて思うことがあります。

おそらく本当の「強さ」は、身体が大きいとか、技術が洗練されているということとは違います。それは、もっと根本的な部分で、

「そもそも敵を作らない」ということです。これは、誰にでも出来るし、一番簡単な身を守る方法です。

なんだか綺麗事のようになってしまいますが、結局どれだけ筋トレをして身体を大きくしても、どんなに強いパンチが打てるようになっても、

それらの力を一切使わずにトラブルを回避するのが最もスマートな護身術です。

要するに巧みな話術で丸め込むとか、お金をつかませるとか、社会的に追い詰めるとかそういうやり方です。

パンチ一発で倒せる相手でも、殴る理由が目の前から消滅してしまえばそれまでです。

私がセキュリティをしていたクラブの責任者は、スーツ姿で、丸腰のまま問題を起こした客の前に現れて、

一分もたたないうちにトラブルを解決して見せました。

私はその光景を見て初めて、自分が幼稚だと気づいたのです。

本当の強さとは、目の前の相手を、暴力も用いず、安っぽい脅し文句も使わず、

その場を丸く納める懐の深さと器の大きさのことだと思います。

つまりそういうものを持っている人は、必死に身体を鍛えたり技を磨いたりする必要はないのです。

私がその現実を目の当たりにしてもなお、護身の道を探求するのは、それが好きだからというのと、

自分がクラブのオーナーのような胆力も社会的影響力も持ち合わせていないことを知っているからに他なりません。

私は自分が弱いと知っているから、強くなるために鍛えます。単純明快ですが、今はこれが答えで良いと思っています。

サーフィンが趣味の人が週末に波の様子を伺うように、

私は身を守る技術を学ぶのが好きだから、時々ジムに行ったりセミナーに出たりして、自己満足しているだけです。

恐らく意味なんて無いでしょう。それでも私は、私が身に付けた技術や考え方が、誰かの役に立てば良いと思ってこのブログを立ち上げましたし、

これからも情報を発信していくつもりです。

どんな技術にも、それを必要としている人がいると私は信じています。高校生だった私が、ナイフを持った相手に勝つ方法を求めたように。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。