格闘技は現代の子供たちを救えるか

格闘技は現代の子供たちを救えるか

いつも心に1kgのダンベルを。どうもサイコ田中です。

ここ10年ほどで日本の犯罪件数は緩やかに減少しつつありますが、

子供が犠牲になる痛ましい事件は後を絶ちません。

また学校でのいじめが原因の自殺や傷害事件も、

報道されていないものを含めるとかなりの数に上ると思われます。

この記事では少子化と情報化が急速に進む現代において、

子供たちが自分や自分の友達を守るために何を学ぶべきなのか、私なりの考えを述べたいと思います。


複雑化する子供たちのコミュニティ

情報化の加速に伴い、我々社会人のみならず子供たちの生活もより複雑な構造を持ち始めています。

私の子供時代は当然携帯電話などはありませんでしたし、持たされることもありませんでした。

家と学校、習い事と友達づきあい程度の狭いコミュニティにしか属さず、その生活は至って単純で平凡なものでした。

しかし現代の子供たちは携帯電話の所有が当たり前になり、メール機能を使ったコミュニケーション以外にも、

SNSやゲーム、動画投稿サイトなど、あらゆるコミュニケーションツールの活用と馴致が当たり前のように要求されています。

勉強と部活だけでも疲弊しているはずなのに、習い事や塾、アルバイトなどもこなしながら、

いつやってくるのかわからない友人や知人、顔も知らない相手からのメッセージに一喜一憂するというのは、

充実しているようですが、少々ストレスが多すぎるようにも感じられます。

様々な方面での強いストレスにさらされながら生きる現代の子供たちには、

どこにでも息抜きの機会や救いの場があるようで、実は与えられていないのです。

その証拠に、特に理由も無く自ら命を絶ったり、

突如凶行に走る優等生や「普通の子」という不可解な報道は増加の一途をたどっています。

かといって、彼らから携帯電話やパソコンを取り上げるわけには行きません。

彼らはそれらの情報端末を通して繋がることで非常に微妙な人間関係を維持し、立ち居地を保っているので、

今更メールもLINEも用いないコミュニケーションなど考えられないでしょう。

たとえそうしたツールに首を絞められつつあることに気づいていたとしても、

彼らは自分の学生生活を守るために「降りる」という選択が出来ません。

良くも悪くも子供たちは、

今まで以上に自分で自分のことを守る責任と義務を果たすことを求められつつあるように感じられます。

ではこの時代に子供たちにとって必要な自分を守るための手段とは何なのでしょうか。


格闘技によって子供たちは救われるか

「強い子になってほしい」と願って子供に格闘技を習わせるという方は多いと思いますが、

管理人個人の意見としては、その考えはあまり好ましくないと思っています。

格闘技を習えば確かにいざという時役に立つでしょうし、本人も自信に満ちた楽しい学生生活を送れるかもしれませんが、

都合のいいことばかりではないのも事実です。

子供が格闘技を習う上でどのような問題があるのかを見ていきましょう。

 

歪んだ思想や認識を育む危険性がある

子供を受け入れている(少年部がある)道場やジムのほとんどは、礼儀作法や理念の教育に力を注いでいます。

それは言うまでも無く、子供が間違った力の使い方をしないよう、

つまり暴力を正当化しないための指導です。

ですがそれらはいつも正しく機能するかというと、そうはいかないのが現実です。

例えば管理人自身、小学生の頃にフルコンタクト空手を習っていて、道場では口酸っぱく「道場の外で空手の技を使うな」と言われていましたが、

喧嘩のときは普通に空手の技を使っていました。確かに良くないことですが、これにはちゃんと理由があります。

子供は吸収が早いので本気で強くなりたいと願って練習に打ち込むと、短期間のうちにどんどん高度な技術を身に付けていきます。

しかしその過程で、必ず付きまとうのが反復練習です。

ルールを決めて、「相手がこう動いたら、こう返す」という動きをひたすら繰り返します。空手では約束組み手などという練習方法です。

言うまでも無く、これが染み付いてしまえばそれは道場の外、学校で殴り合いの喧嘩に巻き込まれたときにも自然に再現されることになります。

道場で師範から「使うな」と言われた技術が殴り合いの中で「勝手に出てしまう」という矛盾に戸惑った少年時代の私は、

徐々にその指導のあり方に疑問を持つようになりました。

喧嘩に勝つための技術ではないとしながら、

殴り合いで優位に立つための技術を教えているのですから、そもそも前提が崩れているのです。

多くの子供はそのことに疑いを持ちませんから、最悪の場合、喧嘩で相手を打ち負かすという体験を繰り返すと、

「暴力で物事を解決できる」という歪んだ認識を育む恐れがあります。

これが私の考える、子供が格闘技を学ぶ上での最も致命的なリスクです。

 

未完成の身体には大きすぎる負担になる

言うまでも無く小さな子供は、身体が出来上がっていません。

幼い頃から鍛錬を積めば怪我にも負けない強い身体が手に入るように思えますが、それは現実的とはいえません。

故障のリスクは年齢と共に上昇しますが、成長過程で骨格などが不安定な子供は、

ある意味大人以上の高いリスクを背負っているとも考えられます

そのような状況で激しい打ち合いや関節の取り合い、投げ技に対する受身などに取り組めば、

大きな怪我をして日常生活に支障が出るのは時間の問題です。

よほど子供の指導に特化したベテラン指導者や教育プログラムに保護された環境でもない限り、

格闘技のみならずどのようなスポーツでも危険性は変わりません。

技術は後からいくらでも学べるのですから、

十代前半まではストレッチやランニングなど、基礎体力の強化に力を入れるのが好ましいと思われます。

 

そもそも子供は大人に勝てない

これもわかりきった事実ですが、子供では大人に敵いません。

「大人と子供」という言い回しがあるように、はっきり言って天と地の差です。

子供がどれだけ必死になって格闘技の技や護身術を学んでも、

体の大きな大人に襲われたら手も足も出ません。

全く無意味と言う気はありませんが、気休めにもならないというのが現実でしょう。

何かあったときに身を守れるように学ばせるのならば、走って逃げるための体力をつけるために陸上を教えたり、

サバイバルの知識が身につくようボーイスカウトに入団させるほうがよほど効果的だと考えられます。

小さな子供が束になっても武装した大人や凶悪犯罪者には為す術がありません。

そういう残酷な事実をきちんと伝えることのほうが、小さな子供たちにとってはよほど重要なことのように思えてなりません。


現代の子供たちに求められるスキルとは

ここまで述べてきたとおり、

小さな子供に格闘技を教えるのは、それ自体とても効果的とは考えられません。

もちろん本人が望むなら、空手でもボクシングでも、好きな格闘技を学べば良いとは思いますが、

現代の子供たちが自分の身を守るために必要な力は、もっと別な方面から身につくように思います。

例えばSNSやその他コミュニケーションツールを介したトラブルを回避するために、

情報リテラシやセキュリティを学ぶことはとても重要です。

これらの知識は後々他の情報処理分野でも大いに役立ちますから、学んでおいて損は無いでしょう。

また人間関係やそこに付きまとうストレスが原因のトラブルを回避するなら、

小さいうちから倫理や道徳、社会常識といったものをきちんと身に付けさせるほうが重要でしょう。

そういった意味では野球やサッカーなどのチーム単位で行われるスポーツや、

地域のボランティア活動などが好ましいと考えられます。

このような活動に参加することで本人のコミュニケーション能力は向上し、いざというとき味方になってくれる友達も見つかるでしょうし、

特にボランティアを通して誰かに感謝される喜びを知ることは、

アイデンティティ形成において大きな意味を持つことは言うまでもありません。

子供のうちから中身のよくわからない暴力に触れさせるくらいなら、

楽しく学んで自信をつけられるような習い事に時間やお金を使うほうが、将来的にはプラスになるといえるでしょう。

子供が格闘技を習うことを否定はしませんが、あくまでも管理人個人としては、それを強く推奨するものではありません。

とにかく子供は色々な体験を通して、沢山のポジティブな感情に触れることが大切だと思います。

もしもその一環として格闘技が必要だと思うのならば、道場やジムに通わせてもいいでしょう。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。