【小ネタ】体術・呼吸法がナンセンスと言われる理由【コラム】
- 2020.04.19
- 護身術
いつも心に1皿のおつまみセットを。どうもサイコ田中です。
日本で護身術というと、必ずと言っていいほど合気道やシステマなどの、
いわゆる身体操作や体術・呼吸法にフォーカスした武道などの名前が挙がりますが、
実は現代護身術においてそうした技術体系や考え方はほぼナンセンスなものとされています。
なぜ体術や呼吸法は覚えても仕方がないと言われるのでしょうか。
足捌きや呼吸法だけでは「生き残れない」
ちょっと考えればわかることですが、華麗な体捌きや呼吸の使い方をどれだけ覚えたところで、
いきなりナイフで刺されたそこで終わりです。
銃口を向けられたら、いわゆる「達人」と呼ばれる人物でもパニックを起こすでしょう。
残念ながら身を守ることと、身体の使い方や呼吸によって力や痛みの感じ方をコントロールすることには、
ほとんど相関がありません。上に述べた通り、いきなり殴られたり刺されたり撃たれたりしたら、呼吸もクソもないからです。
(かなり汚い言い回しになりましたが、恐らくこれが現実です)
護身術として体捌きや呼吸法を教えるということは、
水泳が上手くなりたいと言っている人に、陸上で速く走る方法を教えるのと同じくらいナンセンスなことだと、私は考えています。
なぜそのような考えに至ったのかについて、もう少し詳しく述べたいと思います。
体術・呼吸法が機能しない3つの理由
ここではいわゆる体術・呼吸法がセルフディフェンスとして十分に機能しない理由について、
私自身の経験等も踏まえつつ、3つの項目に分けて解説したいと思います。
もしも身を守る目的で合気道やシステマ・古武道などを学ぼうとお考えの方や、
現在そうした武道を実際に学んでおられる方がいらっしゃいましたら、ぜひ参考にしていただきたいと思います。
(当該の武道・武術の技術体系や思想そのものを批判・否定する意図は全くありません)
ストリート(路上)向けに最適化されていない
言うまでもありませんが、体術・呼吸法をベースとした格闘技や武道のほとんどが、
「路上におけるルールの無いファイト」を全く想定していません。(例外もあります)
ナイフで切りつけられ文字通り殺されそうになっている時に、
「呼吸法を思い出せ……よし、これで大丈夫!」なんてことには恐らくなりませんし、
体格差の大きい相手に服を掴んで恫喝されているような場面で、
「”入り身”でどうにかなるはず」などと考えていても、顔を殴られた瞬間パニック状態に陥って思考停止するでしょう。
体術や呼吸法にフォーカスしている武道が共通して抱えている問題点の一つは、
「本気で殴られる、または襲われるという状況を想定していない」ということです。
お互いどのように動くかが決められている「型」の反復には全く緊張感がなく、
練習自体も裸足で畳やマットの上で行うことがほとんどで、靴を履いてアスファルトの上で襲われたときの対応力は低下すると考えられます。
また稀に刃物などを持った相手を想定した体捌きの指導もありますが、
練習相手はあくまでも”パートナー”として接し、技の形が成立するように協力するためほとんど意味がありません。
指導者も「ここに、こうやって攻撃してきなさい」と言ってパンチの打ち方さえ細かく指定してくる始末です。
これがナンセンスでなく一体何だというのでしょうか。
私はかつて合気道の道場で「先生」と呼ばれる人にいきなりローキックを食らわせてその場で出禁を言い渡されたことがありますが、
要するに”そういうこと”です。
(少し辛口になってしまいましたが、これが現実です)
基礎を身に着けるのに時間がかかりすぎる
体術・呼吸法に重きを置いている武道の致命的な問題点は、
習得するのに時間がかかりすぎることです。
私が東京でシステマのセミナーに初めて参加した際、
「ちゃんと重力(身体の重さ)を感じられる立ち方から覚えろ」と言われ、
他のビギナーの方といっしょに小一時間ひたすら道場の端っこに立たされ続けたときは、
心底呆れ果てて言葉を失くしました。
我々が学びたいのは、
「目の前の相手を、今すぐその場で倒し、無傷で帰宅する方法」であって、
・重力を感じる立ち方
・痛みを感じなくさせる呼吸法
・大きな力を出すための身体操作
などは、極めてナンセンスなものに違いありません。即効性が無く非効率で、ただただ冗長なだけで意味が無いのです。
結局問題のシステマ教室には決して安くはない会費を払って1年間通い続けましたが、
地道に件の”立ち方”や基礎の呼吸法、パンチの打ち方などを習得したと思ったら、
「まだまだ基礎の基礎」と告げられ完全に心が折れてしまいました。
(私の忍耐力が足りなかっただけかもしれませんが)
すぐにその場で身に着けて明日から使えるようなテクニックやアイデアを身に着けられなければ、
「その日」が来たとき身を守れません。
なるべく短時間で覚えられて、尚且つしっかりと効果を実感できるような技術体系でなければ、
忙しい現代人に適した護身術とは言えないでしょう。
精神論で片付けられてしまう
特に体術系の武道では年配の指導者が口をそろえて、
「内面を磨きなさい」とか「心の目で相手を見なさい」など、
抽象的で訳の分からないことを言い出す傾向にあり、これも大きな問題の一つと言えそうです。
ナイフを持った相手を速やかに制圧したり、
2対1の状況を切り抜ける方法を学びたいのに、
「水の心で……」とか言われたら、ポカンとしてしまいますよね。
精神論でどうにかなると信じているなら、体重移動も呼吸法も関係ない、
それはもはや宗教に他なりません。
信仰心で強くなったりいざという時身を守る力が手に入るなら、
催涙スプレーも特殊警棒もこの世には必要ありません。(そもそも戦争や犯罪・暴力などが根絶されていないとおかしい)
このような武道・武術を習得しても身を守ることに直結しないことは、
もはや語るまでもありません。
内面を磨くことも大切だが……
国や地域を問わず伝統的な武道ほど内面を磨く教えや訓練に力を注ぐ傾向にありますが、
それらは本当の極限状態において気休めにもならないものです。
銃を乱射している人物がいる空間で必死に十字を切っても、撃たれたら終わりです。
聖書の一節を唱えても目の前の酔っ払いは止まりません。
あなたが本気で身を守りたいのなら、十字架は手に持って振り回しましょう。
聖書は投げつけるか、手に持って殴打してください。
それが実戦におけるセルフディフェンスであり、生き残るためのテクニックです。
宗教などの教えと現実のファイトにおける戦略は完全に切り離して考えるなど、
精神論と実際の防衛手段を混同しないように注意が必要です。
もしも精神論ばかりに力を注ぎ、実技を重視しないセミナーや道場に参加しているなら、
別の指導者や教室を探すことを強くお勧めします。
私たちの時間やお金・エネルギーや有限です。
セルフディフェンスを学ぶ第一歩として、これらの資源を正しく効率的に運用することから始めていきましょう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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